光線の歴史(古代)
人類は、太古の時代から太陽を神と崇めた古代の日光療法
太陽は人間の歴史が始まって以来、全能のシンボルとして崇拝されていました。まだ人知の開けていなかった古代社会において、既に人々は太陽光線には健康になる保健作用や病気を治す治療効果があると信じて積極的に利用しています。もちろん今日のように科学に基礎を置いたものではありませんが、理論がなくとも実際の効果を重んじたのでしょう。
紀元前2000年頃の第五王朝時代、エジプト人は太陽神「ラー」を信仰し、国王をはじめ盛んに日光浴や日光療法を行ったことが古代遺跡から明らかにされました。エジプトでは王を「ファラオ」と呼びますが、「太陽の子」という意味です。
古代ギリシャでは、3000年以上前に太陽光線を治療用の光源として利用して日光療法を行った記録が残されています。また当時の人々は日光浴場で全裸になり全身の日光浴を好んでいました。なお古代ギリシャのオリンピック競技は日光の下で裸で争われました。体操をGymnasticsと言うのは「裸の技術」に由来します。当時の彫刻を見ても体格が優れているのは当然うなずけます。
インドの聖典ベーダによれば、既に紀元前1400年頃のインドで紫外線に対する感受性を高めるソラーレンをを使って白斑の治療を行ないました。これは現在のPUVA(プバ)療法です。
ペルシャでは太陽を崇拝するゾロアスター教が全土に広がり、日曜日をSundayすなわち太陽の日と呼びました。
太陽が日曜日の語源となっています。
古代ローマでは、浴場に必ず日光浴室を作りました。また「太陽は最善の薬である」「太陽の来ない家には医者が来る」という諺があります。
日本では、太陽を「大日如来」または「お天道様」と呼んで信仰の対象にしました。また、人は日の神「天照大神」の子孫と信じられ、男は日子「彦」女は日女「姫」と呼びました。私たちの先祖が今より遥かに太陽光線に親しんで暮らしたことは確かです。
古代ではすべての人々が素直に太陽光線の恩恵を信じ、太陽光線を利用した日光療法は人類最古の治療法となるのです。
現代医学の祖とされる医聖ヒポクラテス(紀元前460年生)は、日光療法を本格的に治療に取り入れた健康大寺院をギリシャのコス島に建立し、日光療法を本格的に医療の場に取り入れて意欲的にその効果について検討し、次のことを述べています。
「日光の光と熱は、すべての創傷、骨折、破傷風等に効果がある」「筋肉の強壮をするには日光浴が絶対必要である。しかも春夏秋冬必ずその直射を受けなければならない」「脂肪性の肥満した人は、できるだけ裸で歩き回るのが良い」
その後も多くの医師が日光療法についての記述を残しています。
「如何なる患者もなるべく日光に当たるようにすべきである。傷は新しい古いにかかわらず日光に当たるのが良い。寝たきりの患者も、できるだけ日光に当てなければならない」「患者に日光浴をさせれば、内臓の分泌作用が高まり、発汗を増し、筋肉を強くし、脂肪の蓄積を防ぎ、腫瘍を縮小し、浮腫を減らす。また呼吸は深く活発になるから肺は強くなる」
西暦150年頃の外科医アンチロスの記述より。